自分の存在価値がないと感じてしまった時のきれいごと抜きの考え方

自分の存在価値がないと感じてしまった時のきれいごと抜きの考え方

たまにこの波がやってきます。「自分がいなくても世の中の誰も困らないのではないか」と。こう考える時はたいてい何か原因となる出来事があるものです。

自分の存在価値がないと感じてしまった時の対処法を、私なりの偏った考察でご紹介します。

自分の存在価値がないと感じる出来事

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「自分には存在価値がないのではないか」「自分がいなくても世の中の誰も困らないのではないか」と考えてしまう場合、たいていの場合はその考えの原因となる出来事があります。

私の場合は独身なので、何かでセンチメンタルになることがあって、その時に家庭がある人を見るとなおさらそう感じます。パートナーや子供がいれば、私がいなくなって困る人がいるのは明らか。でも、パートナーや子供がいない場合、私がいなくても困る人っていないんじゃないかなと。

センチメンタルになる原因は様々。何のために日々頑張ってるのかわからなくなる時、自分に自信がなくなった時、誰かに自分のことを悪く言われた時、人からないがしろにされた時など。

ネットに落ちてる精神論系は性に合わない

私は、存在価値がないと感じてしまった時にどう頭を切り替えるかを指南した、精神論系の記事をよく読んでいました。

自分が誰のために貢献できるのか、とか、自分にできることを全力でやる、など。ふむふむと言って読んでいたのですが、どう考えてもこういった精神論的なものは自分の性には合わない気がするのです。

すでに自分は誰にも貢献できないと思っているから悩んでるのに、そこをもう一度考え直せと?自分にできることを全力でやる、やったところで何も価値を見出せないから悩んでるのに?

つまりこういう精神論系のものは、一旦脳と心を落ち着けるためだけのもので、解決策ではないと思ったのです。

そもそも存在価値はないと割り切る

既出になるけど、例えば私が家庭を持っていたら、私が並外れた才能の持ち主だったら、仕事で重要なポストを担っていたら、多いに存在価値はあったでしょう。私がいなくなって困る人も大勢いたはず。

がしかし、現状自分がそのような状況にいないので、ここは割り切ります

自分にはそもそも存在価値はない、と。

存在価値なんて見出さなくてもいいじゃん、自分が楽しければ、と思うことにしました。自分が楽しければ自分が自分に存在価値を見出せる気がするのです。

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この世からいなくなって世界が回らなくなる人はいない

誰だってこの世からいなくなったら悲しんでくれる人はいるはずです。家族、仲の良い友人、馴染みの店の人、散歩でよく見かける人、etc…

しかし、この世からいなくなって世界が回らなくなる人はいないです。どんなに重要なポストについている人が亡くなっても、世界は普通に回り続けます。

だから、最終的にみんな一緒なんだよーと思うことにしました。爆弾発言をしているようでしたらすみません。

落ち込みたい時はとことん落ち込む

私は、存在価値を見出せなくて落ち込みたい時は、とことん落ち込むことにしています。

大学受験の時の日本史の先生の言葉が「やるならとことん」だったのですが、その教えをいい時にも悪い時にも使っている私です。

私の場合は、数日落ち込んでいると、存在価値を見出さなくてもいっかーとなる日が戻ってきます。楽観的すぎてすみません。

『自分の努力が報われないと思った時の私の対処法』と同じになりますが、最終的には槇原敬之の「どんなときも」を聴きます

自分の努力が報われないと思った時の私の対処法

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